民田茄子からし漬
その日の夕食をおつまみ献立で済ませたあとは、残った仕事などを片付けながら飲酒ゴールデンタイムへと移行していくのが最近のルーティーンだ。この時間の主役は当然アルコール類であって、さらに必須になるのはそれに合うごく少量の肴である。
毎日晩酌をする呑兵衛としては、時としてある種のインパクトを求めたくなる事がある。
ある時はそのインパクトを独特なクセのある香りに求め塩辛だのチーズだのという発酵系に委ねることもあれば、ある時は芳醇な甘みに求めてレーズンだのイチジクだのセミドライのフルーツ系に委ねる事もある。
だがしかし時として、そのインパクトを極限に強力にしたい日がある。マンネリからだろうか、ストレスからか。はたまたメリハリを感じたいのだろうか。理由は良く判らないが、ともかくも、いつも以上に鮮烈なインパクトを求めてしまうときがある。どうにも止まらないこの烈情をどう満たすのか、呑兵衛にとっては最重要課題である。
若かりし日は、例えば激辛ポテトチップをボリボリとむさぼってみたりもしたものだが、齢も五十を越えてくると、胸焼けをするばかり。まったく食指が伸びない。
そんな中でたまたま紹介を受けて試したものがこちらの「民田ナスからし漬け」なのだが。 一口食べて。この手があったか!と独りほくそ笑んでしまった。
味覚の刺激とは、「甘い」「辛い」「塩っぱい」「酸っぱい」などを極端に振り切って感じる状態を示すものだと思うが、その種類には感じる際のニュアンスもあって、より西洋的に尖ったもの、和的に調和されたもの、という微妙な受容感とともに愉しむことができるものだ。その視点では、「民田ナスからし漬け」から受ける受容感は当然ながら極限まで「和」がもたらすもので、極限の刺激の中にあっても「舌」に「喉」に「胃袋」に、どこまでも「座りの良い刺激」をもたらしてくれる、究極に心地良き刺激である。
おでんや豚の角煮などを食べる時につける和がらしのような、ツンと鼻にぬける辛さとも全く違う、もっともっと繊細で奥行きのある辛さをまずは口腔全体で受け留める。次に浮かび上がるのは、辛さの奥から極めて品をわきまえて辿り着いてくれる糖の甘味だ。
二口三口と口に運ぶにつけ、なるほど漬けられている主体が茄子というのも妙に合点がいく。大根や胡瓜のようにしゃくしゃくとした食感ではこの芳醇な辛味を受け止めきれないし、香味のある菜類ではこの繊細な味の色彩を邪魔してしまう。茄子が持つ少しもったりとした食感と絶妙に淡く鼻に抜ける淡い香りとが、この繊細にして鮮烈なからしの刺激に完璧なまでに調和していると、納得がいってしまうのである。
いつもは日本酒もワインも辛口なものを主に愉しんでいるが、ことこのからし漬けとのペアリングでベストに選ぶならば、同じ辛口であっても少し厚みのある銘柄に合わせたい。日本酒ならば辛口大吟醸、ワインならば白のなかでも丸みのあるシャルドネか重心の高めなボルドーブランといったところだろうか。
杯が進むにつれて、そんな理屈はどうでも良くなるくらい、爽やかで涼やかな辛さが後を引いて止まらない。適切な頻度で言えば月に一度くらいだろうか。胸はずむインパクトを望む夜には、お薦めの逸品である。